不安や焦燥を感じるのは現行制度と各世代のベネフィットが合致してないせい?


経産省の「次官・若手プロジェクト」が作成・公開している資料で面白いものがありました。「不安な個人、立ちすくむ国家~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~」というタイトルのものです。

人類がこれまで経験したことのない変化に直面し個人の生き方や価値観も 急速に変化しつつあるにもかかわらず、日本の社会システムはちっとも変化できていない。
このことが人々の焦り、いら立ち、不安に 拍車をかけているのではないか。

の一文を見てハッとしました。昔よりははるかに豊かな生活のはずなのに、なぜか、不安や苛立ち、焦燥感を抱えて生きている気がします特に「将来への不安」を大きく感じている人は多いんじゃないでしょうか少子化やその他の理由により財源が枯渇して年金が受給できないかもしれない、そうなると自らの貯蓄でどうにかするしかない…働くしかない、しかし定年後働く場所がない、産後は正規雇用で復帰できない、一度非正規雇用になると正規雇用者になるのが難しい…など不安を大きくする懸念事項だらけです。

(1)居場所のない定年後
実に6割以上の人が「定年後も働いていたい」と望んでいるそうです。けれど、実際は働く場がなく社会とのつながりを失い「生きがいがない」と感じる人も多いようです。働きたい意欲のある人を「高齢者」扱いせずにもっと社会と関わってもらうべきではないでしょうか?

(2)望んだものと違う人生の終末
最期をどこで迎えたいかというアンケートでは半数以上の人が「自宅」と答えていますが大多数は病院で亡くなります。国民医療費の約2割が80歳以上の医療費であり、 その多くを入院費用が占めています、その額は9.2兆円。自分の最期を選択できない現状では延命措置を施され、意識がほぼないまま「胃ろう処置」(胃の中に管を通し、食物・水分や医薬品を投与するための処置)を施され、命が尽きるのを待ちます。私の祖母もそうでしたが時折意識が戻る度に「もう、しんどい」と声にならない声で言ったのを思い出します…。高齢化が進む中こうした考え方のまま医療・介護・年金等にどんどん財をつぎ込むことに、 日本の社会はいつまで耐えられるかわかりません。

(3)母子家庭の貧困
離婚率の増加による母子家庭は増加しています。養育費が支払われないなどの理由によって母子世帯の過半数は貧困です。母子世帯の貧困は社会のひずみの縮図であり、対症療法的な金銭給付だけが解決策ではない、としています。「(離婚は)個人の責任問題」「育児は親の責任」として周囲が母親に責任を課し、地域やコミュニティが崩壊していたり、日本の雇用システムが女性の再就職は非正規中心だったり、正社員=長時間労働が当たり前だったり、とシングルマザーが稼ぎにくい世の中であることが原因です

(4)活躍の場がない若者
ゆとりだとかさとりだとか、覇気がなくやる気がないと言われがちな日本の若者たち。実は「自国のために役立つことをしたい」と思う若者の割合は高いのです。なのに、「自分の参加により社会が変わる」と思う若者の割合は最も低いのです。その結果、若者は社会貢献を諦め自分中心の価値観になっているかもしれません。高齢者は一律に「弱者」として手厚く保護する一方、 「子育ては親の責任」「現役世代は自己責任」と突き放し、 意欲のある若者にも高齢者にも活躍の「場」を提供できていないのが現状。

戦後作られた制度、もはや古い価値観となってしまった現行の制度と、新しくうまれ変わりつつある価値観にどうやって切り替えていくのか。図があったので見てください。

上の図の一番下にもありますが、「公」の課題を全て官が担うのではなく、意欲と能力ある個人が担い手になるのも一つの新しい価値観であると思います。公共性の高いものにたいして、すべて「官」に任せず地域のコミュニティで寄付やクラウドファンディングを募り、地元企業がリーダーシップをとって運営していけばいいのだと思います。それこそが地域の共存であり、また新たな価値の創出になると思います。

時代遅れの制度を変える様々な抜本的提案は既に出てきています。これからは具体策を決断しそれを実現する段階になると言われています。漠然な不安を抱えているのならその不安によって文句を言うのではなくその不安を「他人事」にせずに少しでも不安を解消するために、積極的に色んな取り組みに参加するのも自分達の暮らしをよくするための一歩なんでしょう。

不安な個人、立ちすくむ国家~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~ / 経済産業省 次官・若手プロジェクト