【レポート】建築×庭。庭の力でブランディングを成功させた府内町家・前編


2019年2月に東京・大阪2会場で開催されたNexellセミナーのレポートです。第一部の「建築×庭。庭の力でブランディングを成功させた府内町家」のレポートをお届けします。講師は大分の日本ハウジング株式会社・代表取締役 馬場鉄心氏と造園プランナーの古賀千夏さん。工務店の二代目として継いだ時ハウスメーカーのFCだった日本ハウジング。馬場氏が目指したブランドコンセプトと会社の在り方とは…?


◆家業を継ぐまでの経緯
地元大分を離れ、東京で公認会計士を目指していたが志半ばで「地元に帰って家業を手伝え」という先代の意向もあり、半ば強制送還に近い形で地元へと戻った馬場社長。幼い頃から家業ではあったのでどういうものかは知っていたが建築に関してはほぼ素人の状態だったという。
九州に戻り、二年間修業のために福岡のローコスト住宅販売の会社で営業職を勤める。営業職が向いていたのか、どんどん販売成績はあがっていった。しかしだんだんと「この住まいはお客様にとって一番いい住まいと断言できる住まいなのだろうか」と疑問を抱くようになっていったという。

◆日本ハウジングに戻り社長に就任
福岡の住宅販売会社を退職後、日本ハウジングに戻り社長に就任。その当時の日本ハウジングはハウスメーカーのFCだった。社長就任後すぐにFCを辞めてオリジナルブランド「府内町家」を立ち上げることを決意。
しかしハウスメーカーのFCを辞めて新たな挑戦をすることは従業員にとってはリスクとして感じられた。当然のように反発もあり、半分以上の人が辞めてしまう事態に陥った。

「当然その時は困りましたが、でもその後、新しいブランドのコンセプトに賛同してくてれ入ってくれた設計士とともに府内町家を作ることができたのでとてもしんどい思いはしましたが、必要な改革であったと思っています。

◆大分らしい家・府内町家
日本ハウジングの大分らしい家とは「林産県・大分の佐伯の木材を使う、大分・由布の珪藻土を使う、地元の職人を登用すること」をモットーに掲げている。

地元の色んな産業に、少しでもお金が落ちることが重要だと思っています。お客様の大事な何千万円というお金が地元に還元されることはすごく大切です。地元に根差した会社として、地元に少しでも還元して一緒に町を育てていくこと、地域ぐるみで大分が豊かになる家づくりをしていくこと。そういう取り組みを続けていると共感、賛同してくれる方が増えると信じています。」と馬場社長。

◆建築と庭を同時設計する考えに至った理由
様々な良い住宅を見ていると「良い住宅にはかならず外構や庭との相乗効果がある」ことを目の当たりにしたことがきっかけだった。良い住宅は建築と庭の調和がとれている、外構や庭がなければ良い住宅はつくれないと思った。

◆内製で外構・庭の設計ができる人材を雇用
内製で外構・庭の設計ができる人材を雇うまではエクステリア設計業者へ外注を出していた。しかし設計意図が伝わらなかったり、日本ハウジングが望む設計は外注業者から見ると「手間がかかりすぎる」と敬遠されたりと、四苦八苦する。そんな時、造園の経験がある人材が「日本ハウジングで働きたい」と入社してくれる運びになった。そして建築設計士と造園プランナーが連携し、同時で設計する現在のスタイルが確立された。しかし、入社してくれた造園プランナーは「自給自足の生活がしたい」という自分の夢をかなえるために退職。

その後、面接に訪れたのが現在の造園プランナーである古賀千夏さんだった。古賀さんの前職は歯科医の受付。全くの業界未経験者だった。

「もともと、植物が好きでばあちゃんになってもできる仕事がしたいと思っていました。まずは職業訓練校に通い、造園技能士とエクステリアプランナーの資格を取得しました。就職活動を始めてからは、運命に引き寄せられるかのように弊社に就職をしました。建築・設計に関してド素人だったので、今思えば自分でも大胆な行動だったと思います。

未経験の古賀さんを採用しようと思った理由について馬場社長はこう語った。

古賀を採用した理由は「庭づくりを一生の仕事にしたい」という言葉です。そんな強い意志で庭をつくりたいという人がうちで働きたいと言ってくれるなんて、と採用を決めました。
採用を決めた背景には前任者が形成した建築と庭の同時設計の基盤も大きかったという。

◆いざ入社してみると困難が多く、辞めようと思ったことも
お客様へプレゼンする前に日本ハウジングでは社内プレゼンを必ず行うという。古賀さんいわく「鬼の社内プレゼン」。その名の通り、社内プレゼンではダメ出しに継ぐダメ出しばかりだったそうだ。

「入社当時はCADもなく手書きの図面・パースでプレゼンを行っていたので、プランをうまく伝えられなかったり、設計・工務店との連携がうまく行っておらず、設備や電気工事で手戻りになったこともありました。外構設計に関してはアプローチ・ファサードの魅せ方、視線の先に植栽が無かったり、プライベート空間が作り出せないときの一工夫が出来ていなかったり、細かい気遣いが出来ていないとか、予算が無いなら無いなりに考えろ!などなど、ダメ出しはよくありました。今でももちろんあります。」

自分の力量不足や周囲との連携に悩み、辞めることを本気で考えた古賀さん。馬場社長は古賀さんが「庭づくりの仕事自体は好きだけど、周囲との摩擦で心が折れそう」という状態だったのを見て取り、一か月間休養をとることを提案。一ヵ月の休みの間、古賀さんは職業訓練の時に出会った造園屋の手伝いにいき、庭づくりに触れた。「やっぱりこの仕事が好きだ」と改めて感じた古賀さんは退職を踏みとどまり、日本ハウジングに戻った。


改めて造園プランナーとしての道を選んだ古賀さん。その後、建築設計士との連携ではどんな変化が…!?
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